Drop into 花鳥画

野鳥好きのライターが花鳥画についてイチから探索する日々を綴ります

『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』

昔の人はどうやって鳥の絵を描いていたのか。私の素朴な疑問だ。

 

例えばいま「カルガモの絵を描いてみなさい」と言われたら、迷わず野鳥図鑑のカルガモのページを開き、そこにある写真を見ながら描くだろう。写真は動かないから顔も近づけ放題、細部だって見放題だ。

 

しかし、写真が日本に伝わったのは幕末のこと。いまや野鳥撮影のスタンダート機材とも言える大型の望遠レンズが普及するのは20世紀に入ってからだから、当然、それ以前の時代に生きた人たちは「写真を見ながら鳥を描く」ことはできない。

 

実物をじっと観察して描く。もう一つ思いつくのはこの方法だ。でも、これだってカルガモくらい大きな鳥ならできるかもしれないが、小鳥の場合はどうなのか。しかもたいていの鳥は人が近づいたら逃げてしまう。双眼鏡や望遠鏡でじっくり見れば可能かもしれない。でもそれが発明される以前は……?

 

悶々としていたところに、「他人が書いた絵を写す」という方法があることを教えてくれたのが、『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』(今橋理子著、スカイドア、1995年)という本だった。

 

江戸時代に流行した博物学。日本各地で、植物や動物を細密に描き、その特徴を記録する「博物図譜」が作られた。しかしこの博物図譜、よくよく見てみると、必ずしも実物を見ながら描いた(写生した)のではない絵も含まれていることが分かるという。というのも、全く別人が描いた博物図譜の中に、大きさも構図もまったく同じ花や、草や、鳥が、いくつも見つかるからだ。著者の今橋さんは、その「写し写され」の軌跡を丹念に追う。注目したのは、当時博物学に入れ込んでいた大名たち。そして今橋さんは、高松藩主・松平頼恭の描いたハマナス肥後藩主・細川重賢に写され、細川重賢の描いた蝶が秋田藩主・佐竹曙山に写され、その縁を取り持ったのが薩摩藩主・島津重豪であることなどを鮮やかに解き明かしていく。

 

 重賢と曙山、あるいは重賢と頼恭との間に発見された以上のような模写関係は、一冊しか制作し得ない貴重な図譜を長期にわたって貸借することができたという、大名各々二者間の、きわめて密接な接触関係を私たちに想像させるのである。

 

たしかに。なんだか熱いぞ、博物大名サークル! そしてこの細川重賢の図譜は、彼らより一世代あとの佐野藩主・堀田正敦にも多大なる影響を与え、彼が残した江戸時代を代表する鳥類書『観文禽譜』の絵図編「堀田禽譜」にも、〈岩ツバメ〉や〈アイサカモ〉の細川図譜からの完璧な模写が見出されるという。

 

現代の我々の感覚からすると、「模写ってつまりパクリなんじゃないの?」とついつい思ってしまう。しかし今橋さんによれば、江戸時代の認識は違ったという。

 

 「美術写生」にせよ「博物図譜」にせよ、個物を描く画家の意識の中では他人の写生図からの臨模や透写、そしてそれをそのまま自己の作品として使用してしまうことまでも、すべて実物写生と同等に捉えられていた。(中略)現代においては、写生図の模写や継承は一種の剽窃だと受け取られてしまう。だがそれは、他者の目に映った現実が自らにも真実であると映った時、すでに己自身の現実でもあるという認識なのである。

 

この、写すこと=創作すること、という認識は、室町~江戸時代に活躍した専門絵師集団・狩野派の、粉本(お手本)を見て描くことで一定レベル以上の絵を量産するという手法にも通じていて、今橋さんは、博物図譜の制作に狩野派の絵師たちが関わっていたことも突き止めている。そして今橋さんは言う。

 

漠然と見ていては見逃してしまうような、自然物の繊細で複雑なありさまは、直接その鳥を目にするよりも、むしろ絵図に写されれば写されるほど鮮明化し、人の心を動かしてやまないものなのかもしれない。

 

『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』は、緻密で熱い(!)大部の専門書で、2017年に講談社学術文庫から再版されている。