Drop into 花鳥画

野鳥好きのライターが花鳥画についてイチから探索する日々を綴ります

「名作誕生 つながる日本美術」後期

会期終了2日前に滑り込み。展示替えでお目見えした作品を中心に観る。

 

やっぱり雪舟はすごいなぁ。国宝「天橋立図」の解説に、「雪舟による実景図の代表作」みたいなことが書いてあったのがおもしろかった。いわゆる風景画って、その場所に行って写生するのが当たり前だと思っていたから、わざわざ“実景”なんて断らなくてもよいのではと一瞬思う。しかし、この時代は風景画だって模写がバンバン行われていた。行ったことのない中国の山水だって日本の画家はせっせと描いた。だから、そうじゃないやつは“実景”と言ってわざわざ区別したのだろう。

 

雪舟は実際に中国に渡って絵を学んでいる。北京から寧波へ向かう旅の風景を描いたという「唐土勝景図巻」は間近で眺めることができたが、これは描いていて楽しかっただろうなぁ。

 

圧巻だったのは、「第4章 つながるモチーフ/イメージ」の富士三保松原をテーマにした三点の絵の展示。まずは雪舟の「富士三保清見寺図」。左に富士、右に松林。ふもとの家々が結構しっかり描かれているのが印象的。

 

それを六曲一双のおおらかな屏風絵に展開したのが、狩野山雪「富士三保松原図屏風」。左の富士と右の松林の間のゆったりとした間。のどか、茫洋……嗚呼、こんな屏風の前に座ってお茶を飲んでみたい……。

 

最後が曾我蕭白の「富士三保松原図屏風」。うわ、これはパンク! もう雪舟からも、実際の風景からも、かなりかけ離れちゃっている。言われなければ現代の画家の絵だと思ってしまうかも。それほど自由で、明るく、大胆だ。

 

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曾我蕭白「富士三保松原図屏風」左隻。富士山の形がまるで漫画)

 

注目していた蓮池水禽図、後期に登場した中国・南宋時代の作品も、やはりカモは地味だった。派手なオシドリ雄は描かれていない。

 

この企画展は、美術展によくある時代や作家で区切る展示ではなく、テーマでくくってさまざまな作家の絵のつながりを見せる好企画だった。1か月半という会期の短さが本当にもったいない。

 

「名作誕生 つながる日本美術」

花鳥画では、「他人の絵を写す」ことが一般的な手法の一つであることを、今橋理子さんの著書で知った。そうした写し写されの軌跡を、実物の作品でたどる展覧会「名作誕生 つながる日本美術」が東京の国立博物館で開催中だ。待ちに待った企画展。初日に出かけた。

 

奈良時代から作られてきた木彫りの薬師如来像。薄暗い展示室に、さまざまな年代に作られた国宝・重要文化財級の薬師如来がスポットライトを浴びてずらりと立ち並ぶ。最初の部屋からして、なんかもうすごい迫力だ。

 

平安~鎌倉時代に彫られ、描かれた普賢菩薩のさまざまなバリエーション、聖徳太子の伝記絵と来て、次がいよいよ、山水画花鳥画が取り上げられる「巨匠たちのつながり」の部屋。

 

興奮した。ついこのあいだ宮崎法子さんの本で学んだばかりの中国の山水画の名品が目の前にある。水墨で描かれた幽玄の世界。モチーフをよく見てみれば、旅人……いる。漁師……いる。楼閣……ある! 特に、玉カン(さんずいに門構えに月)の「山市晴嵐図」(南宋~元時代)と、伝玉カンの「山水図」(元時代)に感動。抽象画っぽくもあり、ずーっと眺めていられる絵だ。

 

そして、室町時代に中国に渡った雪舟等楊は、こうした中国の水墨山水画を数多く模写し、その技法を我が物としていったという。丸で囲った枠内に水墨画を模写し、枠内に自分の署名(雪舟)、枠外にお手本の作者の名前を入れた作品も、お手本の絵とともに展示されていた。こうやって練習を重ねたんだなーということがよくわかる。その雪舟の模写をさらに狩野常信が模写した絵もあり、なんだかくらくらしてくる。

 

もうひとつ刺激的だったのは、雪舟が仲を取り持ったとされる中国と日本の花鳥画の変遷。ダイナミックで鮮やかな明時代の花鳥画を、雪舟は日本ならではの「四季花鳥図」のフォーマットの屏風絵として描いてみせた。それをさらに、次世代の狩野元信がよりすっきりとした画面に整理し直した。

 

明の花鳥画2点、雪舟の「四季花鳥図」、元信の「四季花鳥図」の計4点が並んでいるのだが、ひとつ気づいたことがある。それは、明の花鳥画では鳥は雌雄のペアで描かれている一方、雪舟と元信の絵では、ペアでない鳥もいて、またペアであっても二羽の距離がやや離れている構図があるということだ。

 

わかりやすいのがオシドリの描かれ方。明の呂紀の「花鳥図」では、水の上で鮮やかな羽色のオシドリの雄が振り返り、その視線のすぐ先に雌のオシドリがいる。二羽の距離は近い。一方、雪舟の「四季花鳥図」では同じように向き合うオシドリのペアが描かれているものの、二羽の間の距離は離れていて、前者の絵に比べると親密さは半分くらいという印象だ。

 

再び宮崎さんの本を思い出すならば、これはやはり、中国の花鳥画が単なる自然の描写ではなく、「吉祥」の意味を担うものであったからだろう。中国で雌雄のオシドリ夫婦円満の象徴だった。ほかに描かれているカモやキジ、キジバトムクドリのような鳥も、みな二羽が寄り添うように描かれている。これはもう、絵全体として、夫婦円満、幸せな結婚を願っていると解釈してよいのではなかろうか。

 

一方で、そうした吉祥の意味は、雪舟や元信においては手本とする明の花鳥画から何はさておき継承するべき重要事項ではなかったように見える。そこが、中国と日本の花鳥画の違いなのだろう。おめでたさという象徴的な意味を込めるよりも、画面上にバランスよく鳥や植物を配置することを重視し、さらにそこに独自のチャレンジ精神も発揮した。そんなふうに思えた。

 

そして伊藤若冲。このセクションも凄まじかった。

 

目玉はタンチョウの絵。15世紀の日本に、中国の文正(ぶんせい)による「鳴鶴図」(元~明時代)がもたらされた。二幅からなるこの絵の右幅を、まずは狩野探幽が模写。次いで、若冲が二幅とも模写するのだが、左幅の背景の松は、陳伯冲(ちんはくちゅう)の「松上双鶴図」というまた別の絵から写してきている。展示では、この四者の絵がすべて実物で並べて掛けられている。

 

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(白鶴図、伊藤若冲

 

こうやって展示されると、若冲や探幽が、元の絵のどこを正確に写し取り、どこを独自に変えたのかがよくわかる。両者とも、鶴の形はまったくそのまま写している。これだけ正確に模写できるというその技術にまず圧倒される。羽毛や足の質感は、少し異なる印象だ。細部を写すことに一生懸命になるあまり生々しさが増した、というのが若冲の絵の印象。特に白い羽毛の表現は、透き通るようで息を呑むほど美しい。

 

細部が生々しいという点で、若冲の絵はふと草間彌生を連想させたが、これは短絡的すぎるだろうか。背景の表現は、若冲に至っては別の絵から松のモチーフを借りてきたように、たいぶ変わっている。

 

鶏の絵のセルフパロディもおもしろく見つつ、個人的にテンションが上がったのはそのあとの「つながるモチーフ/イメージ」の部屋にあった「蓮池水禽図」だ。

 

中国で古代からさかんに描かれてきたこの画題は、宋以降、描かれるオシドリの雄が地味になる、ということは宮崎さんの本で学んだ。この部屋には、中国と日本のさまざまな「蓮池水禽図」が並べてあったので見てみると……。中国の「蓮池水禽図」は3点。描かれているのはすべて地味なカモ、そしてサギ。描かれた時代は、宋~元だ。やはり派手な冬羽のオシドリは描かれていない。日本の絵は鎌倉時代のものが2点。描かれているのは、両方とも派手なオシドリ。ひとつは派手な雄と地味な雌のペアだが、もうひとつは二羽とも派手で、雄同士にさえ見える。

 

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(蓮池水禽図、鎌倉時代

 

これはおそらく、宋よりも前の時代に描かれた「蓮池水禽図」が日本に入ってきて、それを模写したものなのだろう。そんな推理ができたことに密かに悦に入りつつ、時代は下って江戸時代の酒井抱一の描いた「白蓮図」の、なんと洗練された美しさであることよとうっとりした。

 

この展覧会は、前期と後期で大きく展示替えがある。もちろん後期も行かなければ。

 

meisaku2018.jp

 

『荘子』のこと

中国の山水画とは、儒教による統治を実践する役人が、一方で憧れた自由の境地の象徴だった。宮崎法子さんの『花鳥・山水画を読み解く』を読んで一番なるほどと思ったのは、鳥の話ではなく、実はこれだった。

 

山水画に描かれる自由の境地とは、社会における役割から逃れ、人知を超えた自然に身をゆだねることを説く老荘思想的な世界。山水画につきものの漁師というキャラクターも、『荘子』の中にしっかりとした出自を持つ記号だ(土地に縛られた農民は、山水画を構成するキャストとしてはお呼びでないのだそうだ)。

 

荘子』は、数年前に読んで私が激しく共感した古典の一つ。今から約2300年前に成立したとされる思想書で、世間の常識を疑い、凝り固まった思考を解きほぐし、有に恋々とせず無に遊べと説くたとえ話の数々は、滅法おもしろい上に現代に通じる含蓄に富みすぎている。

 

中でも私が一番好きなのは、「無用の用」、つまり役に立たないことが大いに役に立つということを説いた、人間世篇の大工と弟子の話だ。

 

あるとき大工と弟子が旅していると、巨大なクヌギの木があり、その下の多くの人が集まっている。弟子は感動して見上げるも、師匠の大工はまったく関心を払わずスタスタ行ってしまう。何故木を見ないのかと問う弟子に、大工は「あれは役立たずの木だ」と言う。あの木で舟を造れば沈むし、建具にすれば脂(やに)が流れ出す。柱にすれば虫が入る。どうしようもない木なんだと。旅から帰ると、大工の夢にクヌギが現れた。そしてこう言う。

 

「お前はいったい、俺を何と比べているんだい。お前の役に立つ、きれいな建材になる木と比べているんだろうなぁ。柤(こぼけ)や梨、蜜柑や柚、そういう実のなる木は、実ができるとむしり取られ、もぎ取られるために、大枝は折られ、小枝は引きちぎられる。これは、人の役に立つことで却って自分の身を苦しめているわけだろう。つまり寿命を全うできずに若死にするわけさ。進んで世俗に打ちのめされている。世の中って、そういうものだろう」

「そこで俺は、長いこと役立たずになることを願ってきた。その結果、大木になれたのだ。無用であることが、大木になるには有用だってことだ。もし俺が、役に立つ木だったらこんなに大きくはなれなかっただろうさ」

玄侑宗久『NHK100分de名著ブックス 荘子』P76、2016年、NHK出版)

 

これってまさに、真面目であることをいいように利用されて長時間労働を強いられる日本の労働環境と、それに対するアンチテーゼそのものではないか。

 

理不尽な長時間労働の果てに自殺に追い込まれてしまったという人のニュースが後を絶たない。亡くなった人はほとんどがものすごく真面目な人だ。仲間の、上司の、会社の、お客さんの役に立とうと思って一生懸命仕事をした。その挙句に、実をもぎ取られて枝を引きちぎられ、「寿命を全うてきずに若死」にしてしまったのだ。

 

私はここを読んだとき、心の中で机をバンバン叩いた。いまこそ『荘子』は読まれるべき本だと強く思った。

 

荘子』は、効率よく仕事をすることが本当にあなたにとって幸せかと問う。自分の意思というものにこだわると心に淀みが生じないかと問う。儒教で重視される目標や計画は、しょせん思い込みと予断に過ぎないと喝破する。そんな『荘子』の思想を、儒教を掲げて国を治める役人たちも、実は絵画に託して心の避難場所としていた。

 

社会の秩序と個人の自由。やはり人は、昔からそのせめぎあいの中で生きてきた。秩序を守る側の人だって、そこに奉仕して120%ハッピーなわけではなく、ときにバーチャルな隠逸の世界に心を遊ばせることが必要だった。そのことが分かったことが、何故かとてもうれしかったのだ。

『花鳥・山水画を読み解く 中国絵画の意味』

花鳥画についてはとにかく本が少ない。思い出してはAmazonで検索してみるが、新しい本もなかなか刊行されていない模様だ。そんな折、ちくま学芸文庫から2018年1月に出た『花鳥・山水画を読み解く 中国絵画の意味』(宮崎法子)という本がヒットした。書店で早速ゲット。

 

中国の山水画花鳥画に描かれている「画題」に着目し、その意味を丁寧に解きほぐしていく研究書にして入門書。嗚呼、こういう本が読みたかった、とうれしくなる本だった。

 

著者の宮崎さんが前置きするように、私たちはなんとなく、「芸術は社会と相容れない傾向をもつ個人(芸術家)の孤独の闘いの中で生み出され」るものだと考えている。例えばゴッホの絵がそうであったように。しかし、そのような芸術観は西洋近代の産物。個人の魂の表現ではなく、社会が求めるものの表現が芸術だった時代や地域だってもちろんあった。

 

中国の山水画は、宋の時代に特に発展したという。背景にあるのは、科挙による官吏登用制度の本格化。血筋や家柄に関係なく、試験に受かりさえすれば誰でも(男子のみではあるが)役人になれるというこの制度は、生まれによって身分が保証される貴族の没落と、試験に出題される「儒教」の一般市民への浸透という結果をもたらした。そして、試験に受かった役人(士大夫)たちが愛でたのが、水墨山水画だったという。

 

なぜ山水画なのか。

 

山水画に描かれているのは、峰がそびえる深山幽谷、岩陰の東屋、やってくる旅人、水に船を浮かべる漁師……。その光景が象徴するのはずばり、「隠棲への憧れ」なのだという。つまり、試験に受かってあくせく働く役人たちが、「ああ、本当は引退して俗世を離れ、こんな世界に棲みたいなぁ」と焦がれた世界がこれなのだそうだ。

 

自分は実務の世界に生きているが、こうした深山幽谷に憧れることができる美意識も持っているのだという自負。これこそが、一般人と士大夫を分ける差異であり、士大夫だけが理解できる「雅」なのだそうだ。

 

宮崎さんは、このいささか屈折した文人の心理を、「中国の知識人における儒教老荘思想の同居」という観点から解き明かす。カギとなるのは、漁師と旅人というモチーフ。特に漁師は、『楚辞』や『荘子』といった古典文学において「現実世界に拘泥せず、なにものにもとらわれない自由な境遇を象徴する存在」として描かれていて、人々もそのように記憶し続けてきた。

 

中国の知識人にとって儒教老荘思想は、一人のなかで表裏一体の関係をなしていた。官僚として天下の政(まつりごと)に参加する儒教的な志を、現実の官界で実現することはほぼ不可能であったろう。そこにいつまでも恋々とすることは、彼らの理想とはほど遠い。それを相対化し、常に隠逸への思いを胸中に潜ませるというスタンスは、現実世界と妥協しつつ俗に陥らないための、自身を納得させ、正当化するために必要な精神の回路であったと思われる。(中略)

山水画は、そのような彼らにとって現実からのつかの間の遊離の場であり、理想世界に心を遊ばせる場であり、憧憬(しょうけい)の世界であった。そこには、儒教的な秩序の根幹に組み込まれた、生産者としての農民の居場所はなかった。山水世界は、漁民や猟師、樵たち、そして隠者、逸民の世界であった。山水画に漁師が好んで描かれたのは、単に川や湖には漁師がつきものだからという理由だけではないだろう。彼らは、山水世界に最もふさわしい住人として選ばれた存在であった。『楚辞』や『荘子』という古典のなかにしっかりした「身元」をもった漁師たちは、本人たちの意思とは関係なく、士人たち知識人たちによって隠逸を象徴する存在とみなされ、時代を超えて山水画のなかに描き継がれたのである。(P76-77)

 

儒教老荘思想は表裏一体。この指摘はおもしろいと思った。中国には、社会における道徳を説く儒教と、個人の魂の自由を謳う老荘思想の両方があっておもしろいなと思っていたが、そういうことだったのか。

 

そういう、ゼロイチでは割り切れない人間の本質的な複雑さに関わる背景を知ると、夢か現か判然としないモノクローム山水画というものを見る目も、俄然変わってくるというものだ。

 

山水画における漁師が単なる現実の点景ではなく周到に選ばれたモチーフであったように、中国の花鳥画に描かれる鳥たちも、さまざまな意味を担う存在だった。

 

例えば、オシドリは古代より日本と同じように夫婦円満の象徴であり、宋代によく描かれたサギは儒教的な徳、あるいは高級官僚そのもの(サギは文官の制服につけられる位ごとのシンボルの一つだった)を表すことから、科挙合格の願いを託す象徴となった。カササギは「喜」を表し、ウズラは、それを表す「鵪」と「安」が同音(an)であることから安らかさの象徴だった。逆に、中国では不吉な鳥とされたフクロウやミミズクは花鳥画では決して描かれなかったという。「優れた自然観察によって描かれた花鳥画作品において、画家は目に映るものすべてを描いていたわけではないのである」。なるほどなぁ。

 

中でも一番興味深かったのは、オシドリの描かれ方の変遷。夫婦円満を表すオシドリは、恋愛、結婚、子孫繁栄を象徴する蓮の花と一緒によく描かれた。「蓮池水禽図」という画題がそれだが、この「蓮池水禽図」、宋代よりも前の時代には雄の美しい飾り羽が描かれているが、宋代以後の絵では、その姿は地味なものに変わっているという。その理由は、蓮の花が咲く時期に、飾り羽をもったオシドリはいないということへの気づき。

 

いずれにせよ、夏に咲く蓮の花の上に、冬の飾り羽姿の雄の鴛鴦がいる図は、自然界ではありえない。しかし、工芸品などの文様において、鴛鴦であることを表すために、最も美しく特徴的な冬の雄の姿で表されていることも多い。しかし、宋代の花鳥画においては画家も鑑賞者も、やはり写実を重んじる傾向が強かったと思われ、少なくとも現存の宋代の蓮池水禽図に冬の飾り羽をもった鴛鴦を見ることはできない。(P215)

 

おめでたい吉祥の意味を何より重視しつつ、写実とのせめぎあいもあったんだ。おもしろいなぁ。

 

“怖い絵”を流行らせたドイツ文学者の中野京子さんがどこかで、「日本の美術教育は見たままを感じなさいと教えるが、自分はそれに不満だ。その絵が描かれた背景を知ってこそわかる絵というものが確実にある」ということを言っていた。中国の山水画花鳥画もまさにそれに当てはまる。

 

では、日本の花鳥画は? 知りたいのはそこだ。

 

*『花鳥・山水画を読み解く 中国絵画の意味』は2003年に角川叢書から刊行され、2018年にちくま学芸文庫として再販されている。

 

花鳥・山水画を読み解く (ちくま学芸文庫)

花鳥・山水画を読み解く (ちくま学芸文庫)

 

 

秋田蘭画とヤツガシラ

今橋理子さんの『江戸の花鳥画』を読んで、「秋田蘭画」と呼ばれる絵画の一派があることを知った。

 

秋田蘭画とは、江戸中期に秋田藩の武士たちによって描かれた、西洋と東洋の美術を融合させた非常にユニークな絵画のこと。角館出身の武士・小田野直武が江戸に赴き、当時流行していた蘭学や、中国絵画・南蘋派(なんぴんは)を吸収。花鳥画文人画など東洋的な画題を、奥行きや陰影のある西洋的な画法で描くユニークな作風を編み出した。その作風に影響を受けた秋田藩主ら他の武士たちも、同様の手法に挑戦。のちに秋田蘭画と呼ばれる一群の絵画が誕生したという。

 

2016年11月、六本木のサントリー美術館で展覧会「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画」が開かれるというので、早速行ってみた。

 

秋田蘭画を描く以前の直武の作品から、当時江戸に流入していたオランダなど西洋の絵画や博物図譜、直武らに影響を与えた鮮やかな南蘋派の花鳥画、そして直武、秋田藩主・佐竹曙山、角館城代・佐竹義躬らによる秋田蘭画の珠玉の作品の数々……。展示は大充実で、今まで知らなかった独特の絵の世界にグリップされた。

 

例えば、佐竹曙山による「燕子花にナイフ図」。花器に活けられた紫色のシンプルなカキツバタの花と、手前にそっと置かれた1本のナイフ。何この静謐さ。何このモダンな取り合わせ!

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  (燕子花にナイフ図、佐竹曙山

 

しかし私が一番驚いたのは、秋田蘭画そのものではなく、そこに至る系譜として展示されていた「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」と題された大きな作品だった。なぜ驚いたかと言えば、そこにヤツガシラという鳥が描かれていたからだ。

 

ヤツガシラは、日本ではいわゆる「珍鳥」で、渡りの季節に、あまり多くない数が少しの間だけ日本(の主に島しょ部)に立ち寄るという鳥だ。長ーいくちばしと、後頭部にシュッと伸びるツートンカラーの羽は一度見たら忘れられない。私はこのヤツガシラを、三宅島で一度だけ見たことがある。「いま島にいる」という情報を得て探しに探した挙句、夕方、山を少し入った道路脇をてくてく歩いているところを発見した。一緒に探した一同、めちゃめちゃ興奮した。

 

そんなヤツガシラが、江戸時代には絵に描かれるほど普通にあちこちにいたということか!? 解説によれば、そうではなく、これはオランダのファン・ロイエンという人が描き、長崎のオランダ商館を通じて八代将軍徳川吉宗に送られた花鳥図を、江戸の石川大浪・孟高という兄弟が模写したものだという。

 

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(ファン・ロイエン筆花鳥図模写、石川大浪・孟高)

 

ヤツガシラって、ヨーロッパにもいるんだ。鳥の専門家には常識のことかもしれないが、これは新鮮な驚きだった。

 

実は、ヤツガシラとの出会いは中東のカタールでもあった。2012年、カタールの首都ドーハで開かれた村上隆の大規模個展「Murakami - Ego」を見に行った。2015年10月~2016年3月に東京の森美術館で公開された彼の大作「五百羅漢図」が初めて展示された展覧会で、震災翌年というタイミングもあり、激しく心を揺さぶられた。

 

この時に併せて訪れたイスラム美術博物館のミュージアムショップで、「COMMON BIRDS OF QATAR」という本を見つけた。カタールで見られる野鳥を紹介する英語版のハンディ図鑑で、表紙はなんと、ヤツガシラだった。 

 

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「えーっ! カタールではヤツガシラってそんなにポピュラーな鳥なの!?」

 

その本によれば、ヤツガシラは渡りの時期にカタール全土で見られる鳥で、都市部の環状交差点や公園の芝生、畑、オアシス、砂漠などで地中のアリを探し回っているとのこと。彼らが特に好むのは、「牛やラクダの糞の中にいる虫の幼虫」だそうだ。なんか、珍鳥がられている日本でのイメージからすると、かなりワイルドでたくましい……。

 

三宅島―カタール―オランダ。描かれたヤツガシラから、まったく新しい関係性を示す世界地図が見えてきた。

 

 

  *ちなみに、「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」」のネタ元である絵は、徳川吉宗から東京・目黒の五百羅漢寺に下賜され、石川兄弟はそこに通って模写を行ったという。ヤツガシラと五百羅漢。これまたなんという偶然だろう!

『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』

昔の人はどうやって鳥の絵を描いていたのか。私の素朴な疑問だ。

 

例えばいま「カルガモの絵を描いてみなさい」と言われたら、迷わず野鳥図鑑のカルガモのページを開き、そこにある写真を見ながら描くだろう。写真は動かないから顔も近づけ放題、細部だって見放題だ。

 

しかし、写真が日本に伝わったのは幕末のこと。いまや野鳥撮影のスタンダート機材とも言える大型の望遠レンズが普及するのは20世紀に入ってからだから、当然、それ以前の時代に生きた人たちは「写真を見ながら鳥を描く」ことはできない。

 

実物をじっと観察して描く。もう一つ思いつくのはこの方法だ。でも、これだってカルガモくらい大きな鳥ならできるかもしれないが、小鳥の場合はどうなのか。しかもたいていの鳥は人が近づいたら逃げてしまう。双眼鏡や望遠鏡でじっくり見れば可能かもしれない。でもそれが発明される以前は……?

 

悶々としていたところに、「他人が書いた絵を写す」という方法があることを教えてくれたのが、『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』(今橋理子著、スカイドア、1995年)という本だった。

 

江戸時代に流行した博物学。日本各地で、植物や動物を細密に描き、その特徴を記録する「博物図譜」が作られた。しかしこの博物図譜、よくよく見てみると、必ずしも実物を見ながら描いた(写生した)のではない絵も含まれていることが分かるという。というのも、全く別人が描いた博物図譜の中に、大きさも構図もまったく同じ花や、草や、鳥が、いくつも見つかるからだ。著者の今橋さんは、その「写し写され」の軌跡を丹念に追う。注目したのは、当時博物学に入れ込んでいた大名たち。そして今橋さんは、高松藩主・松平頼恭の描いたハマナス肥後藩主・細川重賢に写され、細川重賢の描いた蝶が秋田藩主・佐竹曙山に写され、その縁を取り持ったのが薩摩藩主・島津重豪であることなどを鮮やかに解き明かしていく。

 

 重賢と曙山、あるいは重賢と頼恭との間に発見された以上のような模写関係は、一冊しか制作し得ない貴重な図譜を長期にわたって貸借することができたという、大名各々二者間の、きわめて密接な接触関係を私たちに想像させるのである。

 

たしかに。なんだか熱いぞ、博物大名サークル! そしてこの細川重賢の図譜は、彼らより一世代あとの佐野藩主・堀田正敦にも多大なる影響を与え、彼が残した江戸時代を代表する鳥類書『観文禽譜』の絵図編「堀田禽譜」にも、〈岩ツバメ〉や〈アイサカモ〉の細川図譜からの完璧な模写が見出されるという。

 

現代の我々の感覚からすると、「模写ってつまりパクリなんじゃないの?」とついつい思ってしまう。しかし今橋さんによれば、江戸時代の認識は違ったという。

 

 「美術写生」にせよ「博物図譜」にせよ、個物を描く画家の意識の中では他人の写生図からの臨模や透写、そしてそれをそのまま自己の作品として使用してしまうことまでも、すべて実物写生と同等に捉えられていた。(中略)現代においては、写生図の模写や継承は一種の剽窃だと受け取られてしまう。だがそれは、他者の目に映った現実が自らにも真実であると映った時、すでに己自身の現実でもあるという認識なのである。

 

この、写すこと=創作すること、という認識は、室町~江戸時代に活躍した専門絵師集団・狩野派の、粉本(お手本)を見て描くことで一定レベル以上の絵を量産するという手法にも通じていて、今橋さんは、博物図譜の制作に狩野派の絵師たちが関わっていたことも突き止めている。そして今橋さんは言う。

 

漠然と見ていては見逃してしまうような、自然物の繊細で複雑なありさまは、直接その鳥を目にするよりも、むしろ絵図に写されれば写されるほど鮮明化し、人の心を動かしてやまないものなのかもしれない。

 

『江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象』は、緻密で熱い(!)大部の専門書で、2017年に講談社学術文庫から再版されている。

 

 

 

はじめに

2005年から鳥を見るようになった。きっかけは、東京都・伊豆諸島の三宅島に仕事で通うようになったこと。三宅島は野鳥の多い島として知られている。日本の離島にしか生息していない珍しい鳥や、伊豆諸島で独自の特徴を持つように進化した亜種などがいるほか、渡りの途中の休憩場所として、さまざまな渡り鳥が立ち寄ったりする。


ひょんな縁から、そんな三宅島の自然を紹介するため同年に立ち上がったwebサイトでライターをすることになった。それまで三宅島に行ったこともなければ、野鳥に対して特段の関心もなかった。

 

しかし、「知らないことを知る」のはいつだって楽しい。この仕事に関わった7年の間に、私は三宅島に20回以上通い、取材のためスキューバダイビングのライセンスを取り、双眼鏡やカメラを手に鳥を探して公園を散歩するバードウォッチャーとなった。The文系だった(今でもそうだけど)自分を考えると、まったく不思議な成り行きである。

 

鳥を見るようになって大きく変わったことが2つある。


1つは、三宅島のような自然豊かな場所でなくても、身近な場所に意外とたくさんの野鳥がいることに気づくようになったこと。

 

2006年の春は、取材のため特に集中的に三宅島に通った。バードウォッチングの専門家と島にいる日本野鳥の会のレンジャーさんの、“12時間ほぼノンストップ島内バードウォッチング”に同行したり、24時間で何種類の鳥を見られるかを競うイベントの取材で地元の強豪チームに参加したり、カンムリウミスズメという小さな海鳥を見るため漁船に乗って外海の洗礼を浴びたり(とにかく船が揺れた……)。

 

鳥を探す、声を聞く、姿を見る、それについて書く。そんな濃密な鳥三昧シーズンを終えた頃から、その変化は起こった。


その年の秋のこと。自宅にいたら外で「キーキーピーピー」というけたたましい鳥の声がする。「何だこれは」と思って窓を開けると、向かいの家の庭の木にヒヨドリが数羽集まっていた。ヒヨドリという鳥のことは、子どもの頃に読んだ鳥の絵本で知っていた。しかし、その鳥がこんな普通の住宅街にいて、こんなに大きな声で鳴くことはそれまで知らなかった。


もちろん、ヒヨドリはその年から急に大声で鳴くようになったわけはなく、昔から、変わることなく「キーキーピーピー」と声を張り上げていたに違いない。その大声が、自分には聞こえていなかった。

 

なんてことであろうか。


結局自分は、知っているものしか見ていないし、知っている音しか聞いていなかった。このヒヨドリ事件は、自分の五感というものがいかにいい加減なシロモノであるかをまざまざと認識させられた体験であった。
 
こんなうれしい驚きもあった。当時、仕事の打ち合わせでよく行っていた原宿でのこと。竹下通りの混雑を避けるため歩いていた東郷神社の境内で、「ギー」というおもしろい鳥の声がする。これは、三宅島で見たコゲラの声に違いない。


コゲラはスズメより少し大きいくらいの焦げ茶色の小鳥で、キツツキの仲間。三宅島には独自に進化した「ミヤケコゲラ」という亜種がいるが、普通の「コゲラ」は都内の公園や街路樹にもいると聞いていた。キツツキが都会にいるなんて信じられなかったが、これこそは確かにコゲラの声だ。

 

以来、東郷神社を通るたびにコゲラを探すようになった。ある春の日、ものすごく大きなコゲラの声がする。これは近い。立ち止まって耳を澄ませ、声のする方に目を凝らした。いた! 桜の木の幹をちょこまかと動き回っているのは、確かに三宅島で見たのと同じ、焦げ茶色の小鳥だった。


離島の豊かな森にいた小さなキツツキが、洋服やアイドルの写真を買う若者でごった返す竹下通りのすぐ裏手の神社にもいた。


都会にも鳥はいる。「見よう」と思って見れば、野鳥はそこにいるのだ。以来、仕事であれ休みの日であれ、街歩きがどんどん楽しくなっていったのは言うまでもない。

 

さて、鳥を見るようになって変わったことのもう1つが、日本画の見方である。私は熱烈な日本画ファンでもないし、専門的な勉強をしたわけでもまったくないが、絵を見るのは好きで、面白そうな展覧会があれば足を運んでいる。


あれは確か、伊藤若冲の絵と、別の花鳥画の展覧会を立て続けに見たときのこと。絵の中に描かれている鳥を、単なる鳥ではなく「種名」で認識している自分に気づいた。「あ、オシドリ」「あ、シジュウカラ」「あ、ルリビタキ」。おお、我ながらバードウォッチャーっぽくなってきているではないか。

 

そしてふと思う。なぜ、望遠鏡もカメラもない時代に、絵師たちは一発で種名がわかるような絵をこんなにリアルに描けたのか――。

 

その理由を知りたい。とりあえず本を探したが、早速行き詰った。日本画初心者、あるいは一般読者向けに花鳥画の成り立ちや歴史を解説するような本が、全然ないのである。

 

素人が何か新しいことに挑戦するときには、まずはザックリ全体像を知りたいと思うのが常だろう。スマホデビューを考えている中高年が、「はじめてのスマホ A to Z」みたいなムックをまず買うのがその例だ。いきなり「iPhone Xを使いこなす87の方法」的な本を読んでも意味はわからないし、役にも立たない。

 

しかし、花鳥画に関してはそうした「はじめての~」的な本が全然ない。全体像がわかるのは、1981~83年に刊行された全集『花鳥画の世界』全11巻(学研)しかないっぽいし(これを1巻ずつ図書館で読むことにも挑戦したが、2巻目で挫折した)、「初心者向け」と銘打たれたものはことごとく日本画を描く人向けの技法解説本だった。

 

鑑賞者の「知りたい」に応えてくれる本はないものか。そうだ、ないのなら、自分で作ろう。そう思って書籍の企画を画策したが、そうそうパッと実現するものでもない。悶々は続くが、やはり諦めきれない。

 

ならば、少しずつではあるけれど、自分なりの花鳥画探索の日々を書いてみよう。そう思ってスタートするのがこのブログです。